日米関係:ランボーは、ゴジラを倒せるか

 

 

 日米の貿易問題に関して、私の見解は、アメリカの大学で大半の経済学者が考えていることと同じです。しかし、その内容に、多くのみなさんは失望なさることでしょう。そういうわけで、今回は、最初に、3つの主なポイントを述べようと思います。

 

 ポイント1:アメリカの対日貿易赤字は、私の聞いたところでは、全く危機といえるようなものではありません。この危機という言葉を、クリントン政権は、常に好んで使っています。そして、それだけでなく、クリントン政権は、危機ではないと、『知って』います。クリントン政権は、わざと(率直に言えば、いくらか皮肉気味に)、貿易赤字を利用して、対日世論を刺激し、いわゆる市場開放問題の裏付けとしているのです。

 ポイント2:さかんにいわれている市場開放イニシアチブによる影響は、クリントン政権自体の試算でも、一時的で些少なものに過ぎません。また、その理由は簡単です。アメリカにとって恐怖の的とされているにもかかわらず、日本政府の規制は、実のところ、日本側での輸出超過と我が国側での輸入超過に、ほとんど影響を与えてはいません。クリントン政権の計画が、たとえ成功しても、せいぜい、少数のアメリカ企業に利益を与えるだけでしょう。しかし、失敗すれば、貿易制裁につながり、我が国の残るすべての企業と、世界中が、大きな犠牲を強いられることになります。クリントン政権のランボー流戦略は、かくして典型的なまずい投資です。うまくいってもわずかな利益をえるだけですが、失敗すれば大きな損失を被る可能性があるのです。

 最後に、第3のポイントは、たとえクリントン政権が、臆病で脆弱な日本政府に、譲歩しろと要求し、輸入品に対する数値目標を受け入れなければ、制裁を加えるぞと、しゃにむに脅したとしても、多国間自由貿易を擁護する第一人者としてわずかに残っていた我が国の威信に、傷がつくだけだということです。日本は、重商主義的な偽善者ぶりをむき出しにして、我が国が輸出品を押しつけようとしていると、すべて決めつけるでしょう。それは、ちょうど、我が国が日本について主張していることと同じです。我が国も、ゴジラに変身するにすぎません。そして、いいですか、ちょうど今、ゴジラ政策は、実のところ国家にとって最善の策ではないと気づく日本人が徐々に増えています。現時点で、高い道徳性という原点に戻るならば、対日交渉で、反ダンピング法や、あらゆる「自発的」、非自発的輸入規制(例えば、砂糖輸入割当や、多国間繊維取り決め)の残滓をすべて撤廃して、真剣に我が国の市場を開放するべきでしょう。GATTで、十年間かけて段階的に廃止するなどといっている場合ではありません。でも、驚かないでください。

 

 

 クリントン政権の対日輸出増加キャンペーン:利益と代償

 

 日本の軍備増強を訴えるクリントン政権の主張は、かなり妥当なものであるとされています。なぜなら、事実に照らせば、日本自体がアメリカ製品を輸入制限しているとみられるからです。しかし、その根拠は、薄弱で、ほとんど笑うしかない口実です。誰にでも好まれるストーリーは、確か、羽田孜前通産大臣が言った、日本人の小さな腸には、アメリカの牛肉は合わないという話です。我々はそんな話を問題にはしませんが、日本人の好みが我々と違っていること、アメリカ企業が日本人好みの製品にいつも手直しするわけではないことも、忘れてはいけません。もちろん、典型的な例としては、クライスラーの場合です。リー・アイアコッカが、日本の自動車市場から排除されたと、騒ぎたてたとき、クライスラーが生産する車で、右ハンドルのものは、実のところ、一つもありませんでした。現在のクライスラーは、右ハンドルの車を生産し、ジープのチェロキーの売り上げは、我が国と同様に、日本でも、好調です。

 我が国が抗議している日本の規制と制限の多くは、実際には輸入制限ではないことも、憶えておいてください。昔からの慣習であり、もちろん、日本企業にも同じように適用されています。日本企業の方が、機敏に対応していることが多いのです。しかし、いつでもそうとは限りません。日本の小売業法を研究した最近の結果によると、アメリカでのコンセンサスとは逆に、この法律を撤廃するなら、実際には、アメリカからの輸入を減らす可能性があると判明しました。小売業法は、実のところ、アメリカの輸出業者よりも、日本の中小企業にとって、重荷だったのです。

 プラスとマイナスを全部合計すると、争点となっている規制を日本がすべて撤廃しても、近い将来に対日貿易赤字総額が、長期的に大きく変化するとは考えられません。ここで、赤字総額といったことに注意してください。なぜなら、日本との二国間貿易赤字減少額の一部は、その次には、更に巨額の対中貿易赤字や、対インドネシア貿易赤字となることが確実だからです。なぜなら、日本企業が売り上げをのばそうと、国内市場を脱出して、そのような国や、さらに我が国にまで、進出してくるからです。空気の入っていないバレーボールで、がっかりしたことはありませんか。

 クリントン政権のエコノミストは、貿易収支総額を、対日貿易交渉によって、大きく変化させるのは不可能だと知っています。ミッキー・カンターや弁護士が、何度勝利しようとも、それは変わりません。では、クリントン政権は、大半の学者がひどく無茶だと考えているような計画を、なぜ推し進めるのでしょうか。その答えは、我が国で政治的決定を下すのは、アメリカ経済学会による投票ではないからです。政権内部のエコノミストによる投票でもありません。政権内部のエコノミストが果たす役割は、私自身が政府にいたときのことをから考えると、政治的な上司が得ている地位を合理化するためのうまい論点を提供することなのです。そして、このクリントン政権のエコノミストは、その難問にとりわけうまくこたえてきました。これは、うそではありません。

 政治的決定用の理由をでっちあげて、正当化しなければならないのは、もちろん国民投票対策です。でも、それは、連邦議会選挙や、大統領選挙の、国民投票なのです。このような場合には、生産者の利害(また、更に生産者が利益をえるような財政措置)によって、勝利に必要な得票数を獲得できることが多いのです。対日貿易情勢の場合では、確かにそうです。対日強硬姿勢を要求する圧力をかけるのは、消費者ではなく、ある(あると言うところを強調したいのですが)、在米生産者団体、とりわけ自動車部品メーカー、大手建設業者、シリコン・バレーの連中、モルガン・スタンレーのようなウォール・ストリートの大手投資銀行です。彼らは、ビル・クリントンが現代のペリー提督となることを期待しています。その役割がふさわしいのです。クリントン政権は、政治的に強力な企業の利害にとって有利になるように、動くでしょう。クリントン政権が、その見返りを求めるであろうということは、いうまでもありません。新しい政策イニシアチブが発表されるとき、どの企業がホワイトハウスのローズ・ガーデンに勢揃いするか、見物です。

 この点に関して、確かに、クリントン政権は、それ以前の政権とたいして変わりません。日本の自動車メーカーが行った、いわゆる「自発的」輸入割り当ては、熱烈な自由貿易論者である、ロナルド・レーガン大統領の時代に、始まったことを思い出してください。また、ジョージ・ブッシュ大統領自身が、アメリカ自動車メーカーの重役を加えた代表団を連れて、日本政府に輸入増加を要求したことも思い出してください。しかし、ブッシュ大統領がかけた圧力は、宮沢首相のやり方を批判したに過ぎませんが、日本に対して、実際に貿易制裁をちらつかせました。これは、断じて笑い話ではありません。

 結局日本は、我が国にとって決して最大の貿易相手国ではありません。また、日本からの輸入量を減らす制裁によって、アメリカの消費者が莫大な損失を被り、何世代にもわたる外交成果や貿易イニシアチブは無駄になります。一部アメリカ企業の微々たる輸出売り上げを伸ばすために、どうしてそんな危険を冒すのでしょうか。

 その理由は、私の考えでは、アメリカ政府は実際に制裁を発動する必要はないと考えているのではないかということです。単に脅すだけで十分なのです。日本は、いつものように、最後の瞬間に降参するでしょう。なぜなら、日本が貿易紛争で失うものは、我が国よりもずっと大きいからです。もはや食料自給も、考えられません。天候不順が続けば、米を輸入しなければなりませんし、天候がよくても、石油類はいうまでもなく、石炭、鉄鉱石などの工業原料を、毎日輸入しなければ生き残れません。

 しかし、政府の試算は、確かにその範囲では十分理にかなっていますが、それ以外の側面がそのシナリオに続く可能性を捨てることはできません。学問的な多くの研究により、示談による調停の方が、訴訟費用を負担するよりも、双方にとって都合がよい場合が多いとされています。裁判の日程が邪魔なのです。政府と同じような論法を用いるなら、第一次世界大戦、第二次世界大戦は、起こるはずありませんが、実際には、起こりました。法律や外交では、確実なことは一つもありません。

 脅しをはったりと見破られては困るし、日本が、今度は、要求を拒否するか、またはもっと可能性が高いのですが、近年の出来事から考えて、鳴り物入りで、意味のないつまらない妥協に合意するとしたら、それも許せません。さあどうしましょうか。対日貿易でも、中国の人権問題でも、完全に表面だけを取り繕った妥協を受け入れれば、今後の交渉参加者としての信用を失うでしょう。相手方が、自慢げに、我が国の脅しは口先だけであると吹聴し、世界中から馬鹿にされることになります。実際、がり勉政策家ビル・クリントンのように、更に合理的で計算高く思われれば思われるほど、国際的な交渉力をますます失うことになるでしょう。リチャード・ニクソンのような人間だったら、報復するぞという脅しの威力を確実に行使できたでしょう。なぜなら、それを実行するほどにクレージーではないと、決して確信できないからです。ロナルド・レーガンのような人間だったら、航空管制官と同じように、実行できるでしょう。ジョージ・ブッシュでも、湾岸戦争時のように、実行できるでしょう。しかし、ビル・クリントンにはできません。

 これらすべてからえられる教訓は、開拓時代の西部でよく知られています。撃つ気がないなら、銃を抜いてはいけないということです。実行する気がないなら、脅さないことです。そして、私が心配なのは、現政府に強い政治的影響力を持つ支持者の中に、脅しを実際に実行することを望んでいる人物がいるかもしれないということです。日本からの自動車、鉄鋼、カメラの輸入を妨害するのに、「アメリカの雇用を守る」は、何と完璧な理由とタイミングでしょう。

 日本が、拒否をやめて、「交渉のテーブルにつく」だけで、このような不安は、退けられると、政府は主張しています。しかし、政府は、「交渉」という言葉を、非常に奇妙な意味で使っています。議論可能な唯一の問題は、どれほどの量をどれほど速やかに譲歩するかということです。彼らが言った言葉に対する我が国のお返しは、単にバッシングではないのです。その「交渉」で強盗をするのです。我々の側としては、単なるつまらない政策と評価されるだけではなく、これまで申し上げたような理由から、偽善者の烙印が押されます。我が国にも多くの市場閉鎖規制があるのは、事実であり、それを一方的に放棄する予定はありません。GATTウルグアイ・ラウンド交渉のような、多国間の相互譲歩は、貿易障壁の撤廃をゆっくりとすすめる方策かもしれませんが、現アメリカ政府の脅し政策より、世界貿易を拡大するためのもっと確実で、安全な方法です。

 ここで、GATTに関して簡単な警告コメントを、付け加えたいと思います。モロッコで、一九九四年四月初め、華々しく、GATT協定が結ばれました。しかし、これを実現するための法律は、まだ、議案として上程されていません。一九九三年時点でのGATTの勢いは失われつつあり、保護主義の力が、一九九三年のNAFTAに関する敗北から回復して、再び強まろうとしています。次の議会選挙では、GATTを標的にする準備をしています。更に困難なのは、GATTについて予算上中立性を保つためには、約二百億ドルの歳入増或いは歳出削減が必要だということです。最終的にはおそらく議会を通過するでしょうが、確実とはいえません。

 

 

 日本の貿易黒字とその将来展望

 政府の政治目的による日本たたきは、多くの経済学者にとって、とりわけいらだたしいものです。なぜなら、過大評価されている日本の貿易黒字は、アメリカ政府の言うような、世界中に失業を輸出するという意図的な近隣窮乏政策ではありません。日本の黒字は、家庭や企業の貯蓄率が非常に高いことが原因であり、また、日本社会が持つ文化と、とりわけ人口構成上の特徴が反映されています。それにもまして、つい最近までの過去三十年間で達成された一人あたり所得の増加が、原因であることは確かです。

 これほど多額に貯蓄する日本の家庭は、もちろんどこかにお金を預けなければなりません。最初に、銀行預金、生命保険、日本の国債、社債などに投資しました。ところが、日本経済がその貯蓄を国内で使って、高収益をあげられる金額を超えてしまったのです。それで、銀行と保険会社は、最近の低金利時代にアメリカの家庭がやっていることを、しました。高金利を求めるようになったのです。多様化、とりわけ国際的な多様化で、投資リスクを減らそうとしました。その結果、一九七〇年代と一九八〇年代に、アメリカの債券、つまり我が国の工場や設備投資に使われる社債と、最終的に旧ソ連を崩壊させた一九八〇年代における軍備大幅増強資金を調達した、アメリカ国債を購入することになったのです。

 しかし、日本人の貯蓄は、円であり、我が国は社債と国債を、ドルで売ります。どこで、日本人は、我が国の債券を買うためのドルを手に入れるのでしょうか。その方法は、一つしかありません。我が国から輸入する自動車、木材、グレープフルーツよりも、もっと多くの自動車や、カメラ、ファックスを、そのときの為替レートで輸出することによって、ドルを手に入れるのです。それが、大騒ぎの元凶である、日本の貿易黒字であり、アメリカの貿易赤字です。

貿易赤字や、支払い超過といった、感情的な言葉をやめると、我が国が、とりわけ消費者として(我々は皆、どのような職業であっても消費者です)、このような状況から、莫大な利益をえていることがわかるでしょう。一九八〇年代のころから、貿易黒字を自慢する日本人の友人をからかって、いつもこういっていました。

「それは、本当はひどい策略なのさ、日本人がお金をつぎ込んで作った、すばらしい自動車、カメラ、機械をだまして持ってこさせているんだ。それで、そのかわりにあげているものは何だと思う? ジョージ・ワシントンの肖像画さ」。

 このゲームはいつまで続くのでしょうか。それが終わるのは、日本の貯蓄率が下がるか、アメリカの貯蓄率が上がるときでしょう。政府は、帳尻を合わせようと必死で、提案していますが、いつもそれはとんちんかんであり、国の内外で政治的な緊張を、更に高めるものです。

 国内の貯蓄率を上げることに関して言えば、クリントン政権が財政赤字を削減したのは、ブッシュ前政権や、議会の野党である共和党のように、確かに正解でした。その結果、政府のマイナスの貯蓄を削減することによって、国内の純貯蓄は、増加します。しかし、貿易赤字に対する影響については、生産面での国内投資を維持したいと思うなら、政府の消費か、個人消費のいずれかを減らさなければなりません。政府は当初、少なくとも部分的に、政府支出を政府投資と単に名前を変えることで、政府支出を削減しようとしました。そして、個人消費については、(消費を減少させてしまう広範囲な課税ではなく)上位の所得階層グループと企業への増税で、対処しました。政治的には、便利な方法ですが、このような税制度による影響としては、増やしたいはずの貯蓄が、減少します。

 日本の貯蓄に関して、アメリカ政府は直接には影響を与えません。しかし、日本政府に、大規模な赤字による財政支出を強制することで、間接的に、日本の貯蓄率が下がることを願っています。この財政支出規模は、我が国では不況のときであっても、議会や世論が認めないほどの規模です。我が国の行動に従うよりも、わが国の指図に従うのを、日本が嫌がるのは、我々の偽善に対して単に感情的に反応しているのではありません。日本を不況から脱出させて、日本人が一般消費財をもっと購入し、そしてとりわけアメリカ製品をもっと購入するようにしむけるための財政出動が、本当に効果的なのだろうか、と、経済学者たちは、実は疑念をいだいているのです。でも、経済諮問会議の報告書を読んでも、そんな風に思わないでしょう。この件に関して我が国の政府は、まさに一九六〇年代ケインズ主義の立場をとっています。私は、これを素人の(ナイーブな)ケインズ主義と呼んでいましたが、それは、別のケインズ主義があることを示唆しているのかもしれません。

 今日、政府スポークスマンが主張するように、財政刺激策がほとんど機械的に反応するものであるとは、経済学者は考えていません。とりわけ、日本で起きた最近の出来事からすれば、そうです。日本の家庭は、恐ろしいほど莫大な富の蓄積が、株価下落のために、消滅したのをみています。そして、地価の下落で、さらに富が失われました。大規模な減税があっても、収入と正味資産のバランスを、望ましい状態へ回復させるために、日本の家庭は、消費するよりも貯蓄するでしょう。

 対ドルで円高がすすむにつれて、日本の家庭は、万が一に備えるために、更に貯蓄を殖やし、円高を意地悪なアメリカが介入したからだと考えるでしょう。私は、実際にアメリカが介入しているとは、言いませんが、それは、実際には何ら問題ではありません。例によって、ここで重要なのは認識です。我が国が円高を誘導しているとか、少なくとも口先介入で円高にしているといったような考え方のために、日本企業は、アメリカで得た利益を早く日本に戻し、日本の銀行や投資家は、米資産を売り、資金を還流させ、その結果もちろん、更に円高が進むのです。恐ろしい円高は、日本人にとって、かなりの情緒的意味があります。円高は、次に苦しい時期が来るという前触れなのです。それは単なる迷信でもありません。なぜなら、為替レートは、長期的には大した問題ではないのですが(実質為替レートまたはインフレ調整後の為替レートが保たれるように、国内物価と賃金水準がファンダメンタルズによって決まる水準に調整されるに過ぎない)、国内の物価と賃金が調整される過程は、短期でみると確かに苦しいこともあるでしょう。輸出中心の企業や、輸入品と競合する多くの企業で、解雇や工場閉鎖が、行われるでしょう。ドルが、対マルクや対円で値上がりした一九八〇年代初期、我が国のラスト・ベルト地帯で多くの企業が悪夢のような経験をしたことを思い出してください。

 近い将来に、日本の貯蓄率がさがって、貿易黒字が大きく減少し、我が国の貿易赤字が減るとは、思いません。貿易黒字は、日本が現在のひどい不況から脱出するにつれて、確かに若干下がるでしょう。おそらく、若干の金融緩和政策で、そのプロセスを、いくらか速めることができるかもしれません。日本銀行は、一九八〇年代半ば頃、円高を金融緩和政策で相殺しようとしたために、株価と地価の爆発的な上昇に火を注いてしまったという記憶に、まだとらわれているようです。しかし、政府が、日本製品の輸入に対して、大量の報復措置を実行するぞと単に脅すだけだとしたら、日本の貿易収支が大きく改善される見込みは、次の大統領選挙までありえません。

 しかし、長期となると、見通しは大きく変わりそうです。今から一世代後には、例えば二〇年から二五年すぎたころですが、日本の現在と、つい最近の過去の貿易黒字は、単なる黄金時代の記憶となるでしょう。黒字を支えてきた莫大な家計の貯蓄は、その頃までになくなってしまうのです。そのような貯蓄の伝統を支えてきた、文化の力は、着物や毎日二時間の通勤といっしょに消滅してしまうからです。しかし、その大きな原因は、人口年齢構成の大きな変化です。日本は老齢化し、成長率と貯蓄率は、我が国のような成熟社会と同じくらいの水準まで落ちるでしょう。貯蓄率が低ければ、貿易黒字は、減少するだけでなく、我が国のように、貿易赤字にまで落ち込む可能性も高いのです。輸出額をこえて、輸入額が増えてしまうときに、どうやって日本は代金を支払うのでしょうか。我が国と同じ方法です。過去の海外投資からえられる配当と金利収入、そして、もっと急速に急成長している国の預金者に、国債を売りつけるのです。日本の場合、おそらくそれは、中国でしょう。このような逆転を、貿易赤字を危機とみるような重商主義の老官僚がまだ生きていたら、きっと嘆くでしょう。しかし、少なくとも、貿易赤字を削減するための議論と政策を考え出す時間は不要です。日本は、いつでも、一九九〇年代クリントン政権の、使い古しのお下がりを再利用できるのです。

 

 

 

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